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「自分はこのままでいいのか」と焦っていた日々
多くの方が一度は「自分はこのままでいいのか」と悩んだことがあるのではないでしょうか。
私もそのひとりでした。
何者かにならなければ意味がない、価値がないとずっと思い込んで生きてきました。
「将来の夢は?」と聞かれた子ども時代から始まり、
社会人になってからも「肩書き」や「成果」に縛られ、
自分の価値を測ろうとしていました。

SNSでは誰かの成功や評価が絶えず流れてきて、
見たくなくても目に入ってしまいます。
そのたびに、
自分が取り残されているような気持ちになり、
知らず知らずのうちに心がすり減っていきました。
焦り、不安、自信のなさ。その渦の中で、
「もっと頑張らなければ」「もっとすごい人にならなければ」と、
無意識に自分にムチを打ち続けていたのです。
自分だけの時間が、心を整えてくれた

そんな私が、少しずつ変わり始めたきっかけは、
誰に見せることもないまま描き続けていた絵の存在でした。
評価も目的も関係なく、ただ手を動かす時間。
その“無意味に見える時間”こそが、私の心を整えてくれたのです。
私にとって描くことは、自分を保つための行為でした。
誰かに見せるわけでもなく、評価されることもありません。
でも、自分の内側とだけ向き合って過ごすその時間が、
私にとっての「自分らしさ」を少しずつ取り戻す支えになっていきました。
他人の視線や社会的な評価から少し距離を取ったとき、
ようやく私は「私は何のために生きているんだろう」と静かに問い直すことができました。
なぜ焦ってしまうのか?
現代社会では、SNSやメディアを通じて他人の成功が目に入りやすくなっています。
「同期が昇進した」「友人が起業している」――そんな情報に触れるたび、自分は何も成し遂げていないように思え、焦燥感に駆られる人は少なくありません。
しかし、この焦りは“あなた自身が失敗している”という証明ではなく、“比較”によって生まれている一時的な感情です。
焦りの正体とは?心理的な背景を知る

焦りの感情には、以下のような心理的背景が隠れています。
1. 自己評価の低下
他者との比較によって、「自分には価値がない」と感じてしまう。
2. 承認欲求の高まり
誰かに認められたい、社会的に“意味ある存在”でいたいという気持ち。
3. 不確実な未来への不安
将来が見えないと、「今の自分では不十分ではないか」と不安になる。
これらはどれも、ごく自然な感情です。しかし、放置すれば自己否定感が強まり、行動そのものを止めてしまうリスクもあります。
「誰かの役に立たなければ価値がない」は幻想だった

社会では「役に立つこと」「成果を出すこと」が重視されます。
それ自体が悪いわけではありません。
でも、それだけが人の価値を決めるものではないと、私は強く思います。
大切な人を亡くした経験が、私にそのことを深く教えてくれました。
その人は、何者かになったわけではありません。
でも、私にとってはかけがえのない存在でした。
存在しているだけで、十分だったのです。
そう気づいたとき、私はふと自分自身にも同じことを言ってあげたくなりました。
「誰かの役に立たなくても、生きていていい」
「何者かにならなくても、私には価値がある」
そう心の底から思えるようになるには、時間がかかりました。
でも今では、それが人生における大切な真実のひとつだと信じています。
「このままでいいのか」の焦りを和らげるための5つのステップ

1. 比較する対象を変える:過去の自分と比べる
他人ではなく、一年前の自分と今の自分を比べてみてください。少しでも変化があれば、それは「前に進んでいる証拠」です。
2. 情報の遮断:SNSとの距離を取る
SNSは“編集された人生”の集まりです。見る頻度を減らすことで、比較による焦りも減少します。
3. 日常の小さな達成を記録する
今日やったことを3つ書き出すだけで、「何もしていない」感覚が薄れます。小さな行動が自信につながります。
4. 不安を書き出して見える化する
「このままでいいのか」と思う背景には、漠然とした不安があります。それを言語化することで、冷静に整理できます。
例:
- 不安:この仕事で成長できているのか不明
- 対応:振り返りの時間を持ち、1ヶ月単位で学びを記録する
5. 自分なりの“意味”を見つけ直す
「何のために働いているのか?」「自分にとっての“充実”とは何か?」を改めて考えることが、迷いから抜け出す鍵になります。
長期的な視点を持つ:焦りは一時的な感情
人生はマラソンのようなものです。短距離走のように他人とスピードを競っても意味はありません。焦りは「変わりたい」という欲求の表れでもありますが、そのエネルギーを「行動」に変えられれば、未来の自分を助けることになります。
「自分であること」を選ぶ生き方へ

私は画家として活動していますが、
以前は“ちゃんとしたアーティスト”にならなければと思っていた時期もありました。
「個展をしなければ意味がない」「評価されなければ描く資格がない」
そんなふうに、自分で自分に制限をかけていたのです。
でも今は、特別でなくていいと思っています。
誰よりもすごくなくてもいい。
ただ、自分のペースで、
自分の感覚で、表現していくこと。それが何より大事だと気づきました。
「何者かになる」ことより、「自分である」ことを選んだのです。
他人と比べなくなったわけではありません。
でも、比べることに意味はないと、少しずつ受け入れられるようになってきました。
そうやって、自分をゆるしながら生きることができるようになったのです。
「何者でもない私」だからこそ伝えられるものがある
今の私は、自分が「何者か」だとは思っていません。
誰かより特別だとも思いません。
ただ、自分という人間のありのままを認められるようになっただけです。
世の中には、すごい実績や肩書きを持っている人がたくさんいます。
けれど、その人たちもまた、何かしらの不安や孤独を抱えて生きているのかもしれません。
だからこそ、私は私なりのまま、生きていていいのだと思えるようになりました。
「何者でもない私」だからこそ、届く言葉がある。
伝えられるものがある。そう信じて、私は今日もまた、静かに線を描き続けています。
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まとめ:焦りを責めず、丁寧に向き合う

「このままでいいのか」と感じるのは、あなたが現状に真剣に向き合っている証拠です。
焦りを否定するのではなく、その背景を冷静に見つめ、少しずつ行動に変えていくことが、結果として不安をやわらげます。
まずは、一日5分でも自分と向き合う時間を作ることから始めてみましょう。
この文章は、
今まさに「自分には何の価値もないのでは」と思い悩んでいる方に届けばと思って書きました。
もしあなたが、「何者かにならなければ」と自分を責めているとしたら、
どうか少し立ち止まって、自分自身の存在を見つめ直してみてください。
「何者かにならなくてもいい」という言葉は、
決してあきらめではありません。
むしろ、誰よりも深く自分に向き合った人がたどり着ける、
静かで力強い答えなのだと思います。
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