画家の「売れなくてもいい」は本心か?作品を売ることへの葛藤

作品が売れない苦しさと向き合う

「作品が売れなくても、誠実な制作ができればそれでいい」
アーティスト同士の会話や、SNSでこのような言葉に触れることがあります。
作品を市場の論理に委ねることなく、
自分の内側に忠実であろうとするその姿勢は、
崇高で美しいものです。

しかし、私は時にその言葉の裏側に、
痛みや諦め、あるいは「逃げ」や「矛盾」を感じることもあります。
果たして本当に、「売れなくてもいい」のでしょうか?

その言葉が、まっすぐな理念として発せられているのか。
それとも、現実から目を逸らすための防衛反応なのか。
今回は「表現」と「販売」という二つの価値の狭間で揺れる
アーティストの内面に焦点を当ててみたいと思います。

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防衛反応としての「売れなくてもいい」

思うように作品が売れないとき、
私たちは自分の心を守るために「売れなくてもいい」と言い聞かせることがあります。
これはとても自然で健全なことです。
なぜなら作品には、自分自身の時間や労力、感情、そして思想の深部が込められているからです。

だからこそ、「売れない=評価されない」と感じてしまう瞬間は、
自己否定にも近い痛みを伴います。
その痛みから自分を守るために、
「売れなくても構わない」と唱えるのは、
一種のセルフケアなのかもしれません。

ただし、この言葉を繰り返し強調する人ほど、
いざ作品が売れたときに「どんな人が買ってくれたか」を嬉しそうに話すことがあります。
販売への渇望を否定しすぎるがあまり、逆にその欲求が浮き彫りになってしまう。
このような矛盾は、作家であれば多くの人が経験しているのではないでしょうか。

私も活動初期は「好きな絵をかければそれでいいんだ」と
「売れない」、
「需要のないから」とそう言い聞かせていました。
しかしながら活動を応援してくれる人、
絵を買ってくれる人に応えるためにも
絵を売ることについて意識が変わりました。

表現の自由と社会との接点

表現とは、本来「自分の内側から湧き上がる何かを、
誰にも遠慮せずに形にすること」だと思います。
その点では、アートは市場とは相容れないものかもしれません。
マーケットは需要と供給で成り立つ世界であり、世間とズレた表現や、
静かな内的探求には無関心なことも多いです。

ですが同時に、
私たちが誰かに作品を見せたい、
届けたいと願う気持ちもまた、
本物の動機だと思います。

誰かに見てもらうために描く、
飾ってもらうために作る、
その気持ちの延長線上に「販売」という行為があるのなら、
それは決して恥ずべきことではありません。

むしろ、
「売れたい」
「誰かに届けたい」と願うからこそ、
作品は社会と接続し、自分の世界を外に開いていくことができるのです。

矛盾を抱えたまま、前に進む

私は、こうした矛盾や痛みを無理に否定する必要はないと思っています。
「売れたくない」と言いながら「どうして売れないのだろう」と悩む。
「評価は気にしない」と言いながらSNSの“いいね”の数に心を揺らす。
それらはすべて、自然で人間らしい感情です。

むしろ大切なのは、その矛盾を自覚したうえで、
それを意識的に引き受けることです。
「作品の純度を守りたい」という気持ちと、
「社会とつながりたい」「評価されたい」という気持ちは、どちらも本物ですし、
どちらも否定すべきではありません。

その両方を抱えながら、自分のバランスを探し、制作を続けていくこと。
その試行錯誤の過程こそが、作家としての成熟につながるのだと思います。

売ることは、誠実さへの裏切りではない

とくに日本のアート界では、「お金の話はいやらしい」「商売っ気を出すと表現が汚れる」といった風潮が今も根強く残っています。ですが、制作には時間も労力も材料費もかかります。展示や発送、額装などにも多くの出費が伴います。

もし「売れなくてもいい」と思っていても、生活を支えるためにアルバイトや副業で時間を削られれば、結果的に創作時間は減り、作品の密度にも影響が出てしまいます。

作品が売れることは、表現を裏切ることではありません。
むしろ、作品にとっては「誰かの暮らしの中で生きること」が、ひとつの完成形とも言えるでしょう。ギャラリーに並ぶだけの作品と、生活空間で呼吸する作品とでは、その存在の意味も異なってきます。

だからこそ、「売れたい」と思うことは正直な感情であり、堂々としていていいのです。

売れなくてもいい。でも、売れたら嬉しい。それでいい

アーティストであることは、常に「矛盾」を抱えながら生きることだと思います。
孤独を愛しながら、人に認められたい。

誰にも媚びずに描きたいけれど、見てほしい。自由でありたいのに、収入が気になる。

でも、それでいいのです。売れなくても、
誠実に制作することには変わりありません。

けれど、誰かに届き、その手に渡ったときの喜びもまた、作品にとっての真実です。

その両方を抱えながら、揺れながら、それでも描き続ける。

それが私たちの生き方なのでしょう。

最後に──逃げずに、でも自分を責めないで

もし今、あなたが作品が売れずに苦しんでいるとしたら、
「売れなくてもいい」と無理に思い込まなくてもかまいません。

「本当は売れたい」と言ってもいいのです。

「評価されたい」と願ってもかまいません。

そして、そんな自分を責めないでください。

人は矛盾を抱えて生きていく存在です。

その矛盾があるからこそ、表現に深みが生まれます。

売ることと創ることは、本来対立するものではありません。

そのあいだで揺れながらもなお、自分に誠実でい続ける。
それこそがアーティストの強さであり、成熟の証ではないでしょうか。