1.作品に現れるもの
私の作品を前にすると、まず無数の線が目に入ります。
よく見てみると細いペンで書かれた粒状のもので画面が構成され、
有機的な濃淡をつくっています。
特定の風景を描いているわけではありません。
人物や動物でもありません。
けれど、多くの人がこう言います。
「岩の断面のような」、「布地みたい」、「町の俯瞰図のよう」などなど
木の枝分かれ、川の流れ、雲、血管、細胞。
どれとも断定できないけれど、どれにも似ている。
私は自然を写生しているわけではありません。
完成図を決めず、意味を設定せず、ただ描く行為を続けています。
それでも結果として、自然界に存在する構造に似た画面になります。
なぜでしょうか。
2.福島という原風景
私は福島市で生まれ育ちました。
市街地でありながら、山に囲まれ、季節の変化がはっきりと感じられる場所です。
特別な自然体験があったわけではありません。
山並みや雲の形、木々の揺れは、日常の背景でした。
私は美術系の学校を出たわけではありません。
専門教育も受けていません。
けれど、幼いころから意味をなさない「かく行為」を続けてきました。
文字をランダムに羅列したり、白紙を三角で埋め尽くしたり・・・

社会人になり、
自分が本当にやりたいことを考えたとき、
思い出したのがその「描くという行為」でした。
「これなら無限に描き続けられる」
そう確信し、ペンによる描く行為に本格的に取り組み始めました。
3.なぜ人は自然に美しさを感じるのか

ここで一つの問いが生まれます。
なぜ人は自然に似た形を見ると、安心したり、美しいと感じたりするのでしょうか。
この問いを考える上でよく参照されるのが、生物学者
Edward O. Wilson が提唱した「バイオフィリア仮説」です。
バイオフィリアとは「生命への愛着」という意味です。
人間には生物学的に自然へ親和する傾向があるのではないか、という仮説です。
これは確定した理論ではありません。
しかし文化や地域を超えて自然を好む傾向が見られることから、進化的背景が議論されています。
人類は進化の大半を自然環境の中で過ごしてきました。
都市生活は、進化の時間軸で見るとごく最近の出来事です。
そのため私たちの脳や身体は、
いまだに自然環境に適応した特性を残している可能性があります。
また、視覚研究の分野では、
自然界に多く見られる「フラクタル構造」に人間が心地よさを感じる傾向が報告されています。
4.フラクタル構造とは何か


自然界に多く見られる特徴のひとつが「フラクタル構造」です。
フラクタルとは、
「部分と全体が似た形をしている構造(自己相似性)」のことです。
たとえば、木の枝。
幹から枝が分かれ、枝から小枝が分かれ、小枝からさらに細い枝が分かれます。
どの大きさで見ても、「分岐」というパターンは共通しています。
自然界にはこの構造が多く存在します。
4
・樹木の枝分かれ
・川や三角州
・雷の分岐
・血管ネットワーク
これらは規模が違っても、似た形のルールを持っています。
まっすぐな線は1次元です。
拡大しても、ただの線です。


しかし海岸線は違います。
拡大するほど凹凸が現れます。
さらに拡大すると、また新しい凹凸が見えます。
自然は、単純なルールを繰り返すことで複雑さを生み出します。
それがフラクタル的な形です。
5.私の制作とフラクタル

私はフラクタルを意識して描いているわけではありません。
行っているのは、
・何パターンかの細密な粒
・偶然濃淡ができる
・増殖するように描いていく
という単純な行為です。
しかし「何パターンかの細密な粒」と「増殖」という要素が重なると、
自然界と同じく自己相似に近い構造が生まれます。
部分を拡大すると、複雑な粒状の集合が見えます。
しかしながら完全な数学的フラクタルではありません。
けれど、フラクタル的傾向を帯びた自然造形と同等の画面になっている可能性があります。
ここで重要なのは、私は自然を模倣しようとしていないことです。
意味を設定せず、
ただ無心で描く行為を続ける。
その過程で、自然界に似た秩序が現れます。
つまり私は、
自然を描いているのではなく、
自然と共に進化してきた人間の感覚を通して現れる構造を描いている。
無自覚であることは欠点ではありません。
むしろ、意味や目的をいったん外すことで、より深い知覚の傾向が表面化しているとも考えられます。
8.結論:私は何を描いているのか

私は特定の対象を描きたい欲がありません。
しかし画面は、自然界に存在するフラクタル構造に似ていきます。
それは偶然ではなく、
・何パターンかある複雑な粒状描画の反復
・増殖
・濃淡やパターンのゆらぎ
という要素が、自然と共通しているからです。
自然は、単純な法則から複雑さを生み出します。
私の制作もまた、単純な行為の蓄積から複雑さを生み出します。
私は自然を再現しているのではありません。
自然と切り離せない人間の内部構造が、
線という形で現れている。
そう考えると、私の作品は風景ではなく、
人間と自然の関係の痕跡なのかもしれません。
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