線画制作においては、同じ動作を何度も繰り返しながら、ひたすら図形を描き込んでいく。下書きや完成イメージを持たず、自我を排したその行為には、手描きによる必然を限りなく希釈し、「ほぼ偶然」の画面を作り出す。
制作過程では、「雲の形が何かに見える」といった錯覚——いわゆるパレイドリア現象——がしばしば生じる。これは、脳が曖昧なものに意味を与えようとする働きによるものである。そうした意味づけの衝動に抗い、行為の反復で必然を希釈し、自らの制御や認知の枠を超えた世界を表現することが、制作行為の主題となっている。



意味や成果ばかりが追求される現代社会において、このような姿勢は、ある種の静かな反抗とも言える。私たちは、「意味のある行為」しか許されないという無言の圧力に常に晒されている。そんななか、「意味を求めずに描く」という行為は、目的や効率を超えた営みそのものを肯定することであり、それ自体がひとつの救済となりうることを信じ制作する。
結果として現れる形態には、どこか有機的で自然界の生成原理と呼応するようなフラクタル構造が多く含まれている。生物学者の Edward O. Wilson が示した「バイオフィリア仮説」は、人間が自然に親和する傾向を持つ可能性を指摘している。木の枝分かれや川の流れに見られるフラクタル構造は、秩序と揺らぎが共存する適度な複雑さを持ち、人に心地よさを与えるとされる。
意味を排し、反復と増殖による制作行為は、自然と共生していた時代の感覚に無意識に影響を受け、自然界に似た形態を生み出していくと考える。

作品を通して、成果を求められ続ける現代社会において、
たとえば石を意味もなく積み上げるような行為に、人はどこまで「無意味」でいられるのか。
私たちはその「無意味」をどう許容し、価値を見出すことができるのかを問うと同時に図らずの美を提示する。
2026年1月20日更新
現在までの線画作品は下記リンクから
https://hikaruando.com/Portfolio/drawing-1/